川俣町は、川俣盆地を中心に、絹織物の町として発展してきた町です。
町の歴史は、縄文時代の遺跡が数多く残されていることから、原始時代の1万年も前より祖先の足跡が刻まれているほど古いものです。
古代末から中世にかけて、小手保といわれた川俣地方は、奈良興福寺の荘園として繁栄しました。甘露寺には紀州(和歌山県)根来寺の高僧が住み、川股城跡のふもとからは大量の常滑焼きが見つかっています。
室町時代の初めは、川俣氏が支配していました。16世紀ころからは伊達氏の支配に属し、16世紀後半には伊達氏の将、桜田氏が川股城に居城していました。
天正19年(1591年)豊臣秀吉の奥州再仕置による蒲生氏郷の支配、そして、慶長3年(1598年)に上杉景勝の支配となり、寛文4年(1664年)からは、幕府直轄地になりました。元禄16年(1703年)には川俣代官所が創設されて、明治維新に至りました。慶長年間(1596年~1614年)から生糸や絹織物取引の市が立ち、江戸城御用の川俣絹を生産するなど、国内で有数の絹織物産地に発展し、明治・大正・昭和の時代には輸出花形商品の羽二重を織り出しました。
昭和30年3月1日、町村合併促進法により、川俣町・富田村・福田村・小島村・飯坂村・小綱木村・大綱木村、安達郡山木屋村の1町7カ村が合併して川俣町となりました。
住宅は月日が経つにつれて劣化してくものですが、気になるのはマンションの共用部分の修繕費用ですよね。
マンション共用部分リフォーム支援・利子補給制度は修繕費用を抑えられるものなので、分譲・賃貸マンションを経営している方は利用してみるといいかもしれません。
「マンション共用部分リフォーム支援・利子補給制度」とは住宅金融支援機構の融資を受けて、分譲・賃貸マンションを経営する方が共用部分の修繕などを行ったときに、融資にかかる利子の一部を区が助成するという制度です。
なお、耐震改修工事などを行い、区の「伊達郡川俣町民間建築物耐震改修等助成要綱」による助成を受ける場合には融資利子の全額の補給を受けることができます。
「マンション共用部分リフォーム支援・利子補給制度」の申し込みの受付期間は資金の借入日から半年以内となります。
申し込みができるのは分譲マンションの管理組合・区分所有者、賃貸マンションの経営者です。
なお、助成の金額(利子補給額)や助成期間ですが、住宅金融支援機構の融資額が限度となります。
助成額は実施するリフォームの内容によって、利子の助成割合が変動します。助成を受けられる期間は最長でも5年間が限度です。融資返済期間は1~20年と幅があるので注意しましょう。助成金の支給は年1回です。1~12月分が翌年3月に支給されることになります。