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棚倉町について

棚倉町は福島県南部、東白川郡の北部、県都福島市の南約94km、首都東京からは約200kmの距離にあります。町の東側は鮫川村、浅川町、西側は栃木県那須町、同太田原市、南側は塙町、矢祭町、茨城県大子町、北側は白河市表郷地区、白河市東地区に接し、総面積159.93km2、東西に約19km、南北に17.4kmとなっています。

棚倉町の歴史は古く、すでに10,000年以上も前に生活を営んでいた形跡が、胡麻沢・上手沢遺跡等から発見された石器類によって判明しており、町内から分布する出土品から、縄文・弥生・古墳時代において、この地に高い文化が発達していたことがうかがわれます。
奈良・平安時代においても、当地方の文化の中心地であったことが、松並平遺跡・流廃寺跡等からも推測されます。流廃寺跡から発見された金銀象嵌鉄剣は、剣の両面に金と銀で梵字と文様が施された全国的にも類例のない貴重な剣として、日本の宗教、美術、工芸、寺院史など多くの分野から注目されています。
室町時代の応永7年(1,400年)に、赤館源七郎が赤館城に城を構えてからも、有力武士による抗争が繰り返され、江戸時代に入り、慶長11年(1,606年)に立花宗茂が棚倉領主となった。元和8年(1,622年)には丹羽長重が領主となり、寛永元年(1,624年)、二代将軍秀忠公より棚倉城築城の命を受け、寛永2年に築城を開始し、初代城主となって以来城主は8家16代にわたり、慶応4年(1,868 年)までの244年間、棚倉藩六万石の城下町として、この地域の政治・経済・文化の中心地・交通の要所として栄えました。
明治4年の廃藩置県を経て、同年22年町村施行令によって、棚倉町、社川村、高野村、近津・山岡組合村が誕生し、昭和30年1月1日これらの1町3村が合併し、新生「棚倉町」として発足し、現在に至っています。

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耐震補強で補助金が受けられる!東白川郡棚倉町のリフォームお役立ち情報

東白川郡棚倉町では耐震診断などを行った際の費用の一部を助成する制度やマンションの共用部分の修繕などを行ったときの融資の利子の一部を区が助成する制度があります。

このページでは、こういった東白川郡棚倉町のお役立ち情報をご紹介します。

東白川郡棚倉町民間建築物耐震促進事業とは

東白川郡棚倉町は耐震診断・耐震設計・耐震改修工事を行った際の費用の一部を助成する制度があります。

対象となる建物は、昭和56年5月31日以前に建築されたマンション(分譲・賃貸)や民間特定建築物、緊急輸送道路沿道建築物です。

助成を受ける条件については建物の種類者や申請者について異なってきます。
例えば申請者が賃貸住宅の所有者の場合、建物が適正な管理が行われていて、かつ社員寮や社宅ではないことや、住民税や法人税の滞納がないこと、住宅部分の床面積の合計が延べ面積に対し1/2以上あることが条件となってきます。

また、分譲・賃貸マンションの場合、助成の割合と限度額は以下の通りです。
項目
助成割合
助成限度額
耐震診断
2分の1
150万円
耐震設計
2分の1
150万円
耐震改修工事
2分の1
2000万円

【マンションの共用部分に】リフォーム支援・利子補給制度

住宅は月日が経つにつれて劣化してくものですが、気になるのはマンションの共用部分の修繕費用ですよね。
マンション共用部分リフォーム支援・利子補給制度は修繕費用を抑えられるものなので、分譲・賃貸マンションを経営している方は利用してみるといいかもしれません。

「マンション共用部分リフォーム支援・利子補給制度」とは住宅金融支援機構の融資を受けて、分譲・賃貸マンションを経営する方が共用部分の修繕などを行ったときに、融資にかかる利子の一部を区が助成するという制度です。
なお、耐震改修工事などを行い、区の「東白川郡棚倉町民間建築物耐震改修等助成要綱」による助成を受ける場合には融資利子の全額の補給を受けることができます。

「マンション共用部分リフォーム支援・利子補給制度」の申し込みの受付期間は資金の借入日から半年以内となります。
申し込みができるのは分譲マンションの管理組合・区分所有者、賃貸マンションの経営者です。

なお、助成の金額(利子補給額)や助成期間ですが、住宅金融支援機構の融資額が限度となります。
助成額は実施するリフォームの内容によって、利子の助成割合が変動します。助成を受けられる期間は最長でも5年間が限度です。融資返済期間は1~20年と幅があるので注意しましょう。助成金の支給は年1回です。1~12月分が翌年3月に支給されることになります。