東諸県郡国富町の雨樋修理・交換に関する情報

東諸県郡国富町について

東諸県郡国富町は、明治6年に宮崎県に属し、同9年には宮崎県廃止で鹿児島県に合併されました。明治16年に宮崎県の再設置とともにこれに属し、昭和31年9月に本庄町と八代村が合併して、新しい町として発足しました。さらに昭和32年3月に木脇村と合併して、当時県下最大の町として国富町が誕生しました。
町名の由来は、古い時代にこの地方を国富本庄あるいは、国富本庄神陵京(かみはらみやこ)・国富本庄神原邑(かみはらむら)などと呼んだことにちなみ名づけられました。
旧本庄町は、古くは高日邑(たかひむら)または国富邑(くにとみむら)といい、豊園別命(とよくにわけのみこと)以来「国造(くにのみやつこ)」の代々治めたところであり、江戸時代の正保2年に、この地は天領とされ、以来明治維新まで幕府直轄領でありました。
明治22年町村制の施行にともない、旧本庄郷の六日町・十日町・北本庄村・南本庄村・森永村・竹田村・須志田村、秋月領の宮王丸・嵐田村及び島津領の田尻村・向高村を合わせて本庄村として発足し、大正8年3月に町制がしかれました。
旧八代村は、もと薩摩藩に属し、高岡郷の配下にありました。明治22年町村制の施行にともない、八代南俣村・八代北俣村・深年村及び秋月領の伊左生村を合わせて八代村として発足しました。
旧木脇村は、太平記には「絹分(きぬわけ)」とあって、天正15年以来明治維新まで秋月領でした。明治22年町村制の施行にともない、木脇村・塚原村・三名村及び岩知野村を合わせて木脇村として発足しました。

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